自分とは何かを考えることによって何に気付くことになるのでしょうか。
私は、自分の本来の姿に気付く、自分の本来の姿が観えるのだと思います。
本来の自分の力、本来の自分の成長する力、本来の自分の進化する力、本来の自分の創造する能力に気付くことができるのだと思います。
そして、それぞれなりに少しずつ現わすことのできるこの本来の自分の力、これを現わす場、機会を与えられていることに気付くことができるのだと思います。
そのことによって、すでにある幸せ、すでにある喜びに改めて気付くことができるのだと思っています。
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是澤 静桜
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12:18
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今日、NHKの TOMORROW 「 孤立した仙台空港 」 を見ることができました。あの時、あらゆる場所で、たくさんの 「 地上の星 」 ( 中島みゆき ) が輝きを増したのだと改めて胸が熱くなって、涙が溢れました。我々は、魂が揺さぶられることで、我々の本心、本気がどこにあるのかを知らされるのではないでしょうか。どうすることが本当の望みなのか、どうすることが本当の幸せなのかを知ることになっているのではないでしょうか。
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是澤 静桜
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15:24
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我々みんなが、自分の殻を破っていくことができれば、この世の中はもっともっとすばらしい世界に変わっていくのではないでしょうか。
、、、とは思っているのですが、時として、自分の思いこみの殻の硬さを痛感することがあります。結局は、人としてどうなのかということだと思っているつもりで、先入観に捉われてしまうこともしばしばあり反省しきりです。
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是澤 静桜
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17:32
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太古の昔、村のことで命をかけることのできる者が英雄になりました。やがて、地域としての藩(小国)のために命懸けで戦う者が英雄になり、そこからさらに、国家を命懸けで支えようとする者が英雄として称えられる時代になりました。このより人の為になろうとする至誠の志が受け継がれ成熟し、今我々は、人類、世界、地球全体として物事を考えられるようになっているのではないでしょうか。
そして、これは、もともと始めから在った、より本当の自分、より本当の人としての成熟の道だったのではないでしょうか。
始めから、より本当の自分、より本当の人として、物事を考えられる人もいました。しかし、その多くの人は名前を知られることもなく、英雄と称えられることもなく、歴史の中に埋もれてしまいました。ただ、その志は受け継がれ、やはり成熟をしてきているのではないでしょうか。 「 地上の星 」 中島さんの言われる地上の星は、今もたくさん地上で輝いているのではないでしょうか。
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是澤 静桜
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19:14
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道はあるのではないでしょうか。夢と希望と共に歩むことのできる、我々の道はあるのではないでしょうか。
これは、やはり自分とは何か、から始まると私は考えています。考えてみませんか。あなたなら、きっともっと素晴らしい答えから始めることができるのではないでしょうか。
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是澤 静桜
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22:42
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自分とは何か、に答えは無いのではと言われることがあります。本当に無いのでしょうか。
我々が、事実として存在しているのですから、答えはあるのではないでしょうか。
ただ、聖人、賢人、先人も教えてくださってたように言葉として在るのでは無く、我々が言葉で 『 表現しようとしてきたもの 』 として在るのではないでしょうか。
「 指月の喩 」という話が、仏教にあると聞きました。指し示す指の先の月を見ようとせずに、指し出した指を見てしまうというたとえ話であるといいます。
我々は、差し出す指を見て、この指ではない、あの指でもないという言い争いをしてはいないでしょうか。表現しようとしている言葉に何を使うかで言い争いをしてはいないでしょうか。どの指で指さしても、そこに月は在るのではないでしょうか。
すでに、自分なりの表現が在るのではないでしょうか。少しずつ、その表現を磨いていくことができるのではないでしょうか。
『 NSI 新しい社会 』で検索して頂いて『 NSI 』を選択して頂きましたなら、私の考えが出てきます。愚鈍な私の考えですが参考にして頂けて、あなたなりのもっと素晴らしい答えを出して頂けましたなら、この上ない喜びです。
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是澤 静桜
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15:20
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複雑な関係の絡む中では、極めて小さな変化が、予期せぬ大きな変化を生むということのようです。私は、すべてがつながっているからこそ、起こりうることだと思っています。
原因と結果がつながっているということで、昔から、「 因果応報 」と言われて、善いことも悪いことも必ずそれに見合った結果が生じると言われてきました。しかし、最近では、何事も上手く誤魔化す者が得をするというか、何事も上手く誤魔化さなければ損だというような風潮がまかり通っているように思います。本当に、それで上手くいっているのでしょうか。
「 天網恢恢疎にして漏らさず 」という言葉もあるように、「 因果応報 」は、真実であり、事実だと私は思っています。これは、真実の働きだと思っています。
だから、善いことをするべきだということを言うつもりではなく、結果以前に、どちらの行為が本当の自分の望みなのかを、突き詰めて考えてみませんか、ということを言いたいのです。
このことですべてが、少しずつ良くなっていくのではないでしょうか。完璧でなくても、そういう気持ちを持っているだけで、自分と自分の周りが少しずつ幸せな気持ちで充たされていくのではないでしょうか。大きな力が現れてくるのではないでしょうか。
すべてが一体
すべての元に、同じひとつの 『 本当の自分 』 が在る
「 万物一体の仁 」 がある ( 陽明学 )
あなたは、どのように思いますか。
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是澤 静桜
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18:06
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我々は、どんな世の中を望んでいるのでしょうか。みんなが笑顔で活き活きと生きている世の中を望んでいるのではないでしょうか。
しかし、同時にその実現は難しいと思っているのかもしれません。
本当に、そういう世の中を実現することは難しいのでしょうか。
我々それぞれが、『自分とは何か』ということを確認することによって自然と実現してくるのではないでしょうか。自然と、本来の姿に落ち着いてくるのではないでしょうか。
意識するしないに関わらず、世の中のすべてが、『自分とは何か』という、それぞれの自分の思い、認識、哲学から出来上がっているのではないでしょうか。これが、すべての基本の基本、基礎の基礎になっているのではないでしょうか。これによって、自ら本当の自分の自己実現をしていくのか、本当の自分の自己実現に反することをしてしまうのかになっているのではないでしょうか。
考えてみませんか。より本来の切磋琢磨をしようではありませんか。
しかし、同時にその実現は難しいと思っているのかもしれません。
本当に、そういう世の中を実現することは難しいのでしょうか。
我々それぞれが、『自分とは何か』ということを確認することによって自然と実現してくるのではないでしょうか。自然と、本来の姿に落ち着いてくるのではないでしょうか。
意識するしないに関わらず、世の中のすべてが、『自分とは何か』という、それぞれの自分の思い、認識、哲学から出来上がっているのではないでしょうか。これが、すべての基本の基本、基礎の基礎になっているのではないでしょうか。これによって、自ら本当の自分の自己実現をしていくのか、本当の自分の自己実現に反することをしてしまうのかになっているのではないでしょうか。
考えてみませんか。より本来の切磋琢磨をしようではありませんか。
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是澤 静桜
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15:04
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「 万物一体の仁 」 ( 陽明学 )
自分とは何か、ということを自覚することで、この「万物一体の仁」を知ることになり、実感することができるのではないでしょうか。
万物を一体のように改めて思うということではなく、すでに元々始めから一体であったことに気付くことができるようになるのではないでしょうか。
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是澤 静桜
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14:22
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すでに、すべてが一体の道というのがあるのではないでしょうか。政治、経済、教育、医療、科学、思想、哲学、宗教、民族、国家、世界、そして、自然、そして、宇宙、それらが日々の暮らしと一体の道というのが、すでに大道として始めから在るのではないでしょうか。
我々が、一体として物心共に豊かになっていく道というのが、始めから在るのではないでしょうか。始めから、この道の上に乗っているのではないでしょうか。始めから、この道を歩んでいるのではないでしょうか。
自分とは何か、という自分なりの答えが、このことを教えてくれるのではないでしょうか。このことに気付かせてくれるのではないでしょうか。
自分とは何か、から考えてみませんか。
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是澤 静桜
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15:45
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